ひとのドロドロしたものに興味がある
この世界に入って20年になります。その前はまったく別の仕事をしていました。保険関係の仕事です。交通事故が起こったときの処理をする、いわゆる示談屋さんでした。
福祉の世界に挑戦したいという気持ちになったのは、この仕事をしてきたおかげでもあります。誤解を恐れずに言うと、示談屋で関わるひとたちってドロドロしてるんですよね。お金もからみますから。紳士に思えていたひとからこんなに醜いことばが出るんだ! と。にんげんは危機的状況や意にそぐわないことがあると、とたんに変わるっていう面をたくさん見てきました。
福祉の世界は、お金で解決できない部分もある。ギリギリの生活をしていたり、心身ともに困っているような方々と関わることで、わたし自身が学ぶことがあるんじゃないか。一念発起して、35歳のときに社会福祉士を目指して専門学校に入りました。
当時は、この学校に入るのに倍率が4倍もあって。なんとかパスして入った学校の最初の授業で先生に言われました。
「社会福祉士という資格は、とっても意味がない」
開口一番に……ですよ。この資格を得ようと一生懸命勉強してきたのに! とショックを受けましたね。いま考えると、先生は本気であるかを試したかったんじゃないかな。一番親身になってくれた先生でした。
「聞く」と「聴く」
国家試験をパスして社会福祉士となって、最初に入った職場がここです。それから20年です。縁があったとしか思えない。
当時ここには、在宅介護支援センターという、いまで言う「地域包括支援センター」の前身の部署がありました。主に地域の一人暮らしの方から相談を受けるという臼杵市の委託事業。生きることに対して悩んで苦しんでいる方へのサポートをするんですね。
地域をまわっていても、なかなか扉を開けてくれない家がありました。4度目でやっと開けてくれたんですが、そのくらい心を閉ざしているんですよね。
支援のなかで、指導は一切しません。「こうしましょう」というアドバイスも避けます。ただ、話を聴くんです。その方の混乱したアタマを整理したり、心の中にある「こうしたい」という気持ちをすこしずつ引き出していきます。
「聞く」は話し相手になる。「聴く」は気持ちを聴く。と、使い分けています。傾聴という言葉にも使われていますよね。
聴くって大それたことではないんですが、わたしが信じているのは、聴くことで気持ちを大きく変えることができる。ひとの持つ力を引き出すことができると思うんです。
Sさんの聴く力
ある日、うちの施設へ入居者の相談が入ってきました。Sさんは前科20犯だそうで、刑期を終えて刑務所を出ることになったそうなんですが、帰る家がない。ここへ入居できないか? ということでした。それまでにも刑余者の方とお付き合いがありましたが、20犯ともなると、さすがに身構えました。ただ、Sさんはすでに罪を償っている。職員とも相談をし、ルールを決めたうえで入居してもらうことにしたんです。結果Sさんはここで安定した生活を送っていました。
こんなことがありました。ほかの入居者で気分が落ち込んでいる方がいたんですね。Sさんは黙ってその方の隣に座って、ただうなずきながら話を聴いていました。一言も言葉は発せずにただうなずいていたんです。すると、最初ぽつりぽつりと話していた入居者の方がだんだんとしゃべるようになっていったんですね。聴く力を目の前に見た瞬間でした。
Sさんがやってきてから1年後、ご病気をされて病院にうつることになりました。そのときにかけてくれた言葉があります。
「シャチョウ(Sさんはわたしをこう呼んでいました)、お世話になったね。俺の話を途中でさえぎらずに最後まで聴いてくれてありがとう。犯罪者としてではなく、ひととして付き合ってくれて、ありがとう」
Sさんはこれまでずっと、話を途中で遮られ続けてきたそうです。だから話をする、それを聴いてもらうという心地よさを体感されたのかな、と印象に残っています。
福祉の仕事は面白いと思うんですよ。カタチが決まっていないので、知恵や工夫でなんでもできる。知識も大切ですが、知恵をふりしぼることができるのが魅力だと思います。
にんげんが生きることに対して「深く広く」関わることができて、自分の学びにつながる。こんな仕事ないと思いますよ。
仕事としてだけでなく、自分の隣のひとをちっとでも気にかける、気を使う。これをするだけでも福祉だと考えています。気づかいや気づきを持つひとが増えていけば、よりいい地域になっていくんじゃないかなあ。
大分んこと、知っちょん?
〜教えて! 大分の好きな◯◯〜
text by Azusa Yamamoto
photo by Takamasa Anan