大分市・浅倉秀剛さん

大分中村病院 リハビリテーション部 部長

作業療法士になろうと思ったきっかけ

実は高校時代は理学療法士に憧れていました。高校3年生の春、野球部の練習中に足首の靭帯を損傷し、手術を受けました。リハビリテーションの中で受けた理学療法士に憧れ「大分リハビリテーション専門学校」の理学療法士科を受験しました。
怪我をするまでは建築家になりたくて工業系の進路を考えていたので、急に進路を変更したいと担任に相談した時は猛反対されました。しかし、父は自分の好きなようにしろと言ってくれました。自分のわがままを否定せずに背中を押してくれた父には感謝をしています。

ところが受験をして受かったのは作業療法士。自分自身も混乱していました。それでもリハビリテーションには違いはないと覚悟を決め入学。入学してからも「手工芸」などの授業は苦手で、より医学的な「運動学」や「生理学」にのめり込んでいきました。
「やっぱり理学療法士の方が向いているんじゃないか」と1年生の時には割り切れませんでした。今考えると、頭が固く理屈家で融通がきかない私に神様が作業療法という道を課したのだと思っています。

※作業療法……人々の健康と幸福を促進するために、医療、保健、福祉、教育、職業などの領域で行われる、作業に焦点を当てた治療、指導、援助である。作業とは、対象となる人々にとって目的や価値を持つ生活行為を指す。(日本作業療法士協会HPより引用)

私にとって、大きな転機となったのは実習でした。いろいろな価値観をもった作業療法士の諸先輩方と出会い、3年生になった時にはいつの間にか作業療法の魅力にのめり込んでいました。

浅倉さん宅には野球練習のためのバッターボックスがある。何度も素振りをしたことがわかる。

作業療法の魅力を感じさせてくれた諸先輩方の存在

長期の臨床実習でもお世話になった上司のKさん。1回の作業療法で患者さんが変化していくのを目の当たりにし、作業療法の奥深さを痛感しました。治療技術も惹かれましたが、患者さんの生活やもっと先を見据えた人生までも作業療法は考えサポートしていくのだと教わりました。

そして作業療法の魅力を感じたエピソードがもう一つあります。実習中リハを拒否する患者のAさんを担当しました。その当時、私は知識も技術もない実習生でした。毎日、根気強く病室へ通い声をかけ、将棋が趣味だと聞くことができました。なんでもいいから、Aさんと関わっていきたいという一心で、毎日Aさんから将棋を教えてもらうかたちで介入を開始しました。

すると、徐々にAさんがリハビリ室に通うようになったんです。この経験を通じて、Aさんにとって将棋は生活の一部であり、人と人をつなげる大切な作業だと気づきました。

私にとって、この実習は作業療法士としての今の自分になくてはならない経験だったと強く感じています。数多くの対象者に出会い、さまざまな価値観に触れるなかで定型化できない課題に直面し、悩むことは絶えません。
しかし、作業療法を通じて学んだ知識・技術・経験・柔軟な思考を総動員すれば、目の前の方の人生を色鮮やかにできると信じています。

私自身が最も柔軟な外的因子として、目の前の方の人生を豊かにするために作業療法を今後も学び続けます。

浅倉さんの小学生時代から現在まで、お子さんの試合を観に行く思い出の場所「別大興産スタジアム」。

リハビリテーション部長としての自覚

リハビリテーション部長には、10月に就任したばかり。今は病院の中の他部署の人に自分を知ってもらいたいと思っています。そのためには、積極的に足を運び他部署のことを知ることが大切だと思っています。
今までの人生で人とのつながりを大切にしてきたからこそ、部長としても同じように動いていきたいんです。

新病院に向けて

2023年に、大分川沿いに新病院ができる予定になっています。新たな場所に移転するにあたって、地域の人と交流したいと思ってます。夏には、大分市の風物詩である花火が川沿いで上がります。新病院に移転したら病院から間近で見ることができるようになります。花火が上がる前に病院でイベントを企画して病院のスタッフ・患者さん・地域の人と共有できる空間・時間をつくりたいな……なんて考えています。

大分んこと、知っちょん?
〜教えて! 大分の好きな◯◯〜

大分中村病院
創設者 中村裕先生


先生の話を就職説明会で連日しているので、最近頭から離れません。大分は国際車椅子マラソンや「太陽の家」もあります。当時、裕(ゆたか)先生が考えていたことや行動力を知れば知るほど「凄い」と思わされます。裕先生は障害者スポーツが社会的認知もなく、サポートがないなか、ゼロから立ち上げられました。凄いですよね。
今からリハビリテーション部をさらに発展させるうえで、中村裕先生のマインドは欠かせないと思っています。

▼大分市大手町
大分中村病院

text & photo by Hikaru Hamada