竹田市・桑島孝彦さん

イタリアンレストラン「Osteria e Bar RecaD」オーナー

東京での修業時代と東日本大震災

18歳から東京に出て、地元の竹田市にライブハウスをつくりたいなと思ってたの。それで、舞台裏や照明、音楽の仕事の勉強をしてました。だけど、東京のライブハウスで働かせてもらった時に、毎日の集客ノルマや規模感を目の当たりにして竹田ではむずかしいなって思ったの。それよりも、週末たまにライブをやる飲食店を目指そうって方向転換して、30歳まで東京のイタリアンレストランで修業しました。

そろそろ竹田に帰りたいなって思ってた30歳の直前に3・11(東日本大震災)が起こった。
当時働いてたレストランはホテルにあって、そのロビーには帰れない人たち。一方で、売り上げを気にするレストランのひと。そのギャップに違和感を感じたんですよね。そうこうしてたら原発事故も起こって……。

そしたら、竹田の友達から電話かかってきて「仕事とかお金とか気にせんでいいけんさ、とりあえずこっちに帰ってこいよ」って言われたの。めっちゃありがたい言葉で、それでもう竹田に帰ろうって思ったのね。

ただ、レストランのシェフや実家の父には「東京で今頑張んないと」って反対されて。

非常事態に電話をくれた友達と、この大人たちのどっちの言葉を信じるかを考えて、もう俺は東京にはいないって決めました。

結局震災から1年の間に、親父が倒れて仕事ができないって兄貴から聞かされ、実家の酒屋をどうにかしないといけないってなって、竹田に帰ってきました。

リカドのパスタ。地元の温泉の炭酸泉を使って茹でている。

竹田での「空間づくり」

竹田に帰ってすぐは知り合いも少ないし何もできなかったから、古民家をきれいにしようとか、どぶをきれいにしようっていうイベントを、SNSを通じて発信しながらやってました。

それが結構いろんな人の目にとまったり、面白いって思ってくれる人が増えてきて、ちょっとずつ料理のイベントをやったりとか、当時思いつけることをひたすらやってた感じかな。

1年間、市役所の移住政策の担当で働かせてもらったこともありました。ふらっと来れる場所をつくろうってなって、空き家を改装して事務所にして。そこで竹田市の生活をつづったブログを書いたり、ギャラリーイベントをやったり、市役所勤務の中でできることをやってましたね。

そのおかげでメディアに出させてもらうことがちょっとずつ多くなって。でも地元の人たちからは珍し者扱いで、信用されるわけではなかった。

東京にいる時に大きな影響を受けたのが「Nui.(ヌイ)」っていうゲストハウス。料理や内装のことしか考えてなかったんだけど、大事なのは「空間」だって気づいたんよ。そこにいる人たちが楽しそうだったり、集まるメンバーが素敵だったり、全体的なバランスを見てつくる店を持った方が楽しいんだなって思ったの。こういう空間を竹田にもつくれば、いろんな地域から人が遊びに来て元気になるんじゃないかって。

「Nui.」のような空間を日本各地で手がけていたのがデザイナーの東野唯史さん。彼のやってることを追いかけていくと、竹田にもゲストハウスが必要やなと思った。

でも竹田に帰ってきて、まだまだ受け入れられるものではなかったけどね……。

※東野唯史(あずの・ただふみ)さん……建築デザイナー。妻とともに空間デザインユニット「medicala」を主宰する。現在は長野県諏訪市で、古材や古道具をレスキューして活用するリサイクルショップ「リビルディングセンタージャパン」を運営している。

地元の高校への出前授業も行う桑島さん。

市役所で働いた翌年、2014年の3月ごろから自分で店をやろうと、物件探し兼内装の仕事を見るために大工のお手伝いをさせてもらったのね。夏くらいに今の「リカド」の場所が、改修工事に入り始めたの。大家さんが知り合いだったから話を聞きに行ったら「からあげ屋さんとアメリカ雑貨屋さんやろうと思ってんだよね」って言われて。
この一等地でなら、俺のほうが面白いことできるって思って、すぐにレストランの企画書をまとめて、デザイナーは東野さんでやりますとかメニューを書いて大家さんに持って行ったの。その場には大家さんの息子さんもいて、一緒に話を聞いてくれた。
「デザイナーの東野さんって、建築やってる東野さんですか。僕めっちゃファンなんですよ。お父さんもうこの人にやらせようよ」って息子さんの後押しもあって即決。
それからどんどん話が進んでいって、リカドがこの場所にオープンできました。

※リカド……桑島さんのお店「Osteris e Bar RecaD」のこと。「RecaD(リカド)」とは「Re=角」の意味で、「マチカドの再生」を表している。

6年続けてこれた理由

いろんな人に会ってきたおかげで、いろんなアプローチをもった飲食店にできてるなって気はしてる。

地元の食材を必ず使う、かつ週替わり、月替わりでもメニューがどんどん変わっていくから、グランドメニューはほぼないとか。

最初は少ない数でもリピートしてくれる数が増えると時を重ねるごとに、その数が増えていくんじゃないかと思ってるのね。だから、いきなり100人が来るよりも、最初10人でも10人が10人の友達を連れて来てくれたら、それを3回繰り返すだけで100人になる。だから、過ごしてもらう時間の丁寧さはもちたいって思って飲食店をやってきたつもりですね。

竹田で6年続けてこられたのは、「あなたのためにこの料理を出してます」って作ってきた一つひとつのメニューが、農家さんたちとつなげてくれたから。

あとは、ただ町の人たちのやってることに力を貸すんじゃなくて、音楽イベントとかマルシェをやったりとか、僕なりの角度でやれることを手伝うってことをやってきて、それがちょっとずつ地元の人たちの信用にもつながってるのかもしれない。

そんなのも総じて、「運がよかった」っていう言葉になっちゃうんだけどね。もっといい言葉ないかな……。

「食」ってものすごく触れるモノが多いんですよ。食材はもちろん、水もそうだし、ガスで火を使う。火を通すフライパンがアルミなのか鉄なのか。ひとつのモノでも多様性に帯びてる。その一つひとつ最高級なモノたちが、竹田にはたくさんあるのよね。こんな五感をフル活用できる仕事で、お客さんたちに竹田の最高級な一つひとつを精一杯伝えることができたら、しこたま楽しい。

18歳までの僕が知ってる竹田は、今見てる竹田と違うと思うんですよ。当時一緒に遊んでた仲間がすごく大切だったんですよね。興味をもてる方々が地元にいてくれて、その仲間と永遠に遊び続けられる場所をって思って、「竹田にライブハウスをつくりたい」ってきっかけになった。

それが転じて「リカド」のこの場所だったらなおさら友達も集まるし、外からも人が来て、ずっと楽しそうだぞっていうのが、僕の中でその場所と仕事をするっていう感覚なんだなって気が付き始めた。「好き」が発展していって今の「リカド」ができてると思います。
実は、次の構想もあって。久住(くじゅう)の3000坪の土地を使って面白いことをする予定なので、楽しみにしていてください!

大分んこと、知っちょん?
〜教えて! 大分の好きな◯◯〜

久住高原


ここはニュージーランドでしょう! 景色はもうそこしかない。竹田で一番好き。
いや、県内1だなあ!

▼竹田市久住町
久住高原コテージ

text by Kana Ozaki 
photo by Takamasa Anan