初めて企画書を書く
「よくわからんけど、やってみたら? 企画書はちゃんと出してね」
最初は勇気をもって介護主任にやりたい意気込みを伝えてみた。好きな子に告白するように、かなり緊張した。写真が趣味なのも話したことはない。とにかく、根拠はないがやるしかない気持ちにはなっていた。
舞台は変わって、以前のような従来型の施設ではなくユニットケア型のグループホームに勤めていた。グループホームと特別養護老人ホームが併設された新しい施設で、グループホームでは、認知症状のある利用者さんが多く共同生活をしている。
主任はやってみたらという軽めな答えだったが、背中を押されたような気持ちになった。問題は企画書の内容。遺影写真を撮るためのイベントだと、その時はどこか縁起が悪いような気がしていた。
写真ってどんな時に撮るのだろうか? 現代とは違って大正時代はカメラは高級品で家が買えるほどの値段だったそうだ。大正時代とは言わないまでも、これまでは結婚式や七五三などの特別な日に合わせて、地元の写真館で誰でも一度は写真を撮っていたのではないか。それなら写真館がいい。施設に写真館が出張してきて、その日を特別な日に思ってもらえるようなイベントにすればいいんじゃないか、特別な思い出を施設でも家と同じように積み重ねていってほしいと考えて、名前はシンプルに「出張写真館」に決まった。
名前が決まったら、そこからは全てが決まるのは早かった。
「写真館」というくらいなのだから、もちろん本格的な撮影セットを用意しなければならない。けれど写真館で写真を撮ったことはなかったので何が必要なのかわからなかった。ネットで写真館を調べて、必要な背景紙やスタンド、ライトなどは全て自費で揃えた。カメラはローンで買った当時30万円もした一眼レフカメラを使用した。広く浅い趣味で終わらせるにはもったいないカメラだった。
施設でやるイベントだからとはいえ、本物を用意しなければそこに意味はないと思っていた。
この写真館をただのレクリエーションのひとつにはしたくなかった。Sさんの遺影写真を見た時の気持ちが蘇っていた。カメラマンはもちろん自分だ。生まれて初めて本気で取り組んだことかもしれない。
「出張写真館」はお洒落着を一緒に選んだり、お化粧を手伝ってくれる職員も確保し、丸1日をかけたイベントにした。お洒落やお化粧を楽しんで、好きな人や家族、馴染みの職員と、写真撮影も楽しんでもらうのがコンセプトだ。企画書には、遺影の遺の字も入れなかった。遺影写真を撮るということを目的にするよりも、純粋に「出張写真館」を楽しんでほしい気持ちの方が強くなっていた。結果として、遺影写真に使いたいと思ってもらえるような記念写真を撮ることができればと考えていた。
サンプルに使用した写真はネットから拾った名前も知らないおじいちゃんとおばあちゃんの笑った写真を使った。
ガラガラガラ。居室の引き戸が開く音がした。
「にいちゃん、外に犬がおって吠えよるんや。ちょっとみてくれへんか」
「どれどれ、見てみよか」
深夜1時30分、夜勤中に企画書を作成していた。
Nさんは夜中によく犬がいると起きてくる利用者さんだ。
Nさんの部屋から外を見てみる。ぼくと、腰が大きく曲がったNさんの2人の姿だけが、大きな掃き出し窓に映し出されていた。犬はどこにもいなかった。
寝ぼけ頭で作成した企画書は、すんなり審査を通った。
出張写真館が始まった
初めての「出張写真館」の記憶は、必死すぎてほとんど覚えていないが、どんちゃん騒ぎのイベントになった。賑やかなフィリピン人の介護士さんが用意した真っ赤なドレスを、利用者さんが照れながらも着てくれてポーズを取ってくれた。
いつもは「私をここから出せー!」と大騒ぎの彼女は「これ私? 嘘みたい」と写真をとても喜んでくれた。
この時、認知症であっても楽しい気持ちや嬉しい気持ちはしっかりと伝染するんじゃないかと思った。ぼくは、この時のことはとても楽しかったし、いかにぼくたちが一緒に楽しむことができるかはとても大切なことだと感じていた。
「出張写真館」が終わったころには、利用者さんも通常業務の合間にイベントの手伝いをしてくれた職員も楽しんでくれた様子で、「次はいつやるの?」と何度も聞いてくれた。写真を見た利用者さんのご家族も「本当の写真館で撮ったのかと思った」「次は家族も連れて一緒に撮りたい」と感想を伝えてくれた。
それだけでも十分すぎるくらい嬉しい体験となったのだが、この日、とても心に残ったエピソードがある。
認知症状が強く5分に1回ほどのペースで何度も「ここはどこだったかな?」と尋ねてくる男性の利用者・Tさんがいた。大企業の部長にまで上り詰めた人で、時折手がつけられないくらい怒ってしまい興奮することがあった。怒って服薬を拒否されてしまった日には、ぼくはお手上げ状態だった。
正直、Tさんは苦手でカメラを向けるのが怖い。
とうとうこのTさんの順番がやってきた。
ご本人のジャケットを羽織っての撮影予定だったが、どうやら怒ってしまい拒否されてしまったらしい。女性職員とヤイヤイ言いながら、おぼつかない足取りで席についた。
「Tさん、来てくれてありがとうございます。ぼく、実は今日カメラマンなんです。
せっかくやから、Tさんの写真撮りたいんですけど、いいですか?」
かなり緊張していた。試しにカメラを構えてみせた。
「どうしたらええんや? こうか。こうか?」
先ほどまでは怒った表情だったのに、急にすっと穏やかな優しい眼と表情をして、簡単なポーズまで取ってくれた。その瞬間に何枚もシャッターを切った。
ぼくが特別に何かしたわけではないけれど、カメラを構えた時に優しい表情をしてくれたTさんに、嬉しい気持ちになったのを覚えている。その写真はぼくにとって記憶に残る一枚となっている。
すぐに次の「出張写真館」の企画書を作り始めていた。
企画書にはネットで拾った写真ではなく、ぼくが撮影した写真を使用した。
もっと利用者さんに喜んでほしいから、カメラの勉強も本格的に始めた。
人前でカメラを出すのも小っ恥ずかしかったのだが、このころには施設のイベント事で、カメラマンを任せられるようになっていた。
数回の「出張写真館」をやってからというものの、実際に遺影写真に使用していただくこともあった。
ぼくが勤めているところだけでなく、ほかの施設でも「出張写真館」は喜んでもらえるんじゃないか、と考え始めていた。
2016年「NPO法人Ubdobe」という団体が医療福祉業界で音楽やアート、デザインを使ってなにやらカッコいい事業をしていることを教えてもらった。その団体は関西でも「Wellcon」という医療福祉関係者が集まるイベントを定期的に開催しているらしい。
出張写真館で撮影した写真を簡単なブックレットにまとめて参加してみることにした。
はじめの一歩目よりも、二歩目の足取りはとても軽かった。
text & photo by Hikaru Mizumoto