これまではぼくの過去を遡って、出張写真館を始めたわけについてご紹介してきました。
ここからは出張写真館を通して出会った利用者さんとのエピソードや、ぼくが感じたことについて
書いていきたいと思います。
花咲じいさんの夫婦写真
「あんた、ちゃんとこっちむきなさい!」
女性利用者のSさんが隣に座る旦那さんのNさんに向かって大きな声で呼びかける。
隣に座っているNさんは、Sさんを気を止めずに、陽気に鼻歌を歌っていた。
「ほんとうに、この人はあかんわ〜」
Sさんは呆れながらも、少し照れた様子でそう答えてみせた。
これはとある施設で一緒に暮らしている夫婦を撮影した僕の記憶に残る小さな物語だ。
「出張写真館」は一度だけ、ご依頼を受けてほかの法人施設に出張したことがある。
そこの施設で出会ったのが、SさんとNさんご夫婦だ。
どこか関西人気質な雰囲気の奥さんのSさんは、撮影した写真も自身で「これはあかん! これはええな」と、自分で好きな写真をセレクトするようなチャキチャキとした性格が印象的な利用者さんだった。
そして、のんびりとした空気を身に纏っている旦那さんのNさん。
「Nさん。はじめまして。カメラマンの水本といいます。写真撮影よろしくお願いしますね」
挨拶をしても、穏やかなご様子だがなかなか返事が返ってこない。そこで施設の職員さんが「Nさん、いつも歌ってくれている歌なんやったっけ?」と聞くと笑顔で、鼻歌で答えてくれていた。
チャキチャキとしたSさんとのんびりとした性格のNさんはとても対照的な性格だが、この施設では名物夫婦だったようだ。
個別で写真を撮り終えた後は、いよいよ夫婦写真の撮影にとりかかった。とても仲がいいが、あまりにも対照的な性格のご夫婦。ありのままのご夫婦の関係を撮りたいと感じていたので、お話しながら自然体での撮影を試みるも、マイペースなNさんはあっちを見たり、そっちを見たりと、なかなかカメラに視線が向かなかった。
ソワソワしていたSさんに「あんた、ちゃんとカメラの方をむきなさい!」と言われている始末だった。少し悩んで、「最後におふたり、向き合って写真撮ってみましょうか」とリクエストしてみた。
奥さんのSさんは少し照れくさそうに、しっかりと旦那さんのNさんの方をまっすぐに見てくれた。
しかし、相変わらずマイペースなNさんはあっちを見たり、そっちを見たりしていた。
痺れを切らしたSさんは、「あんた、ちゃんとこっち向きなさい!」と大きな声で言った。
そんなSさんを横目に、Nさんはなんと、陽気に鼻歌を歌い始めてしまったのだ。
「ほんま、この人はあかんわ〜」
その瞬間に現場は笑顔の花が咲いたような雰囲気に包まれた。
ぼくも、みんな笑っていたように思う。
この写真はその瞬間にシャッターを切ったものだ。
SさんもNさんも見つめあって、笑っていた。
旦那さんのNさんは、きっと笑顔の花咲じいさんだったのかもしれないなと、ぼくは笑顔で見つめ合う2人を見てそう感じていた。
壊れたコニカミノルタ
ご夫婦の写真といえば、もうひとつ忘れられないエピソードがある。
それはぼくが勤めていた施設に入居された旦那さんKさんと奥さんのLさんのエピソードだ。
旦那さんのKさんはぼくの勤めていたユニットに入居されてきた。「ユニット」というのは、入居者は10名前後の少人数グループごとに分かれてサービスを提供していく造りの介護施設のことだ。「ユニット型特養」とも呼ばれる。ぼくが勤めていた施設では4つほどのユニットに別れていて、それぞれのユニットに4〜5名ほどの職員が配置されている。
入居されていたKさんは、筋肉が萎縮していく病気を患っており入居された時には、ほとんど自身で身体を動かせない状態だった。褥瘡(じょくそう)という床ずれができないように定期的に体位交換を行う必要があり、食事も経管栄養という、管をお腹に通して食事を摂っていた。体力的なこともあり入浴以外の時間はほとんどの時間をベッドで過ごしている方だった。言葉でのコミュニケーションは取れないが、目を見て声をかけると軽くうなずいて答えてくれる。いつも虚ろな眼をしているのが印象的だった。
そんなKさんにほぼ毎日のように奥さんのLさんは面会に来られていた。
明るくて気さくなLさんは、「いつも部屋で旦那とテレビを見てるだけでは退屈だから」
とLさんの部屋の掃除や、洗濯物を畳んだりなど身の回りの世話はほとんどLさんがされていた。時々、部屋を訪れた介護職員と世間話に花を咲かせたりしていた。
LさんはKさんの昔話をよく話してくれた。
昔は写真屋で働いていて、カメラマンを目指していたこと。
面倒見がよくて後輩に慕われていたこと。曲がったことが大嫌いな性格だったこと。
付き合った頃は、ハイカラな服を着ていたこと。
写真を撮られるのは苦手なこと。
結婚して、定職についてからも、趣味でずっと写真を撮っていたこと。
退職後もふたりでいろんな場所へ旅行したこと。
引越しの時に、間違えてカメラの閉まってあった棚を処分してしまい、Lさんはとても後悔したこと。それをKさんは優しく許してくれたこと。
ぼくは同じカメラが好きなKさんに親近感を覚えていた。自然と2人のために、何かできることはないかと考えるようになった。
Lさんが間違えてカメラを処分した後も、Kさんはカメラを買っていたことを知った。
Kさんが好きなカメラが近くににあれば少しは気が紛れるんじゃないかとLさんに頼んでそのカメラを持ってきてもらった。コニカミノルタの一眼レフだった。
大切に扱われていて、説明書まで保存されていた。
電池が切れているらしく、動かなかった。
ぼくはその時、このカメラでご夫婦の写真を撮りたいと思った。
ぼくのカメラでもなく、施設のタブレット端末でもなくKさんのカメラで夫婦写真を撮ることに拘っていた。
Kさんに尋ねた。
「Kさん、このカメラ、いいカメラですね。このカメラぼくもたまに触ってもいいですか?
電池を変えたら動きそうなんです。お願いします! 」
ゆっくりと、うなずいてくれた。
とても嬉しく感じたのはKさんの介助以外の時の会話で、Kさんはぼくにそんなに返答をしてくれることがあまりなかったからだ。
さっそくカメラ用のリチウム電池を購入した。
結果として、カメラは動かなかった。
フイルムを装填し、新しい電池を入れスイッチを入れると起動はするもなぜかシャッターが切れない。ネットや説明書などくまなく調べてみたが、なぜシャッターが切れないのか原因がわからなかった。奥さんのLさんに修理の提案をしてみるも「ここまでしてくれてありがとう。もう十分よ」。結局Kさんのカメラは再び動くことはなくなってしまった。
それから、定期的に開催していた「出張写真館」に一度だけ参加してもらうことができた。
リクライニング車椅子に座ったKさんは相変わらず下をむいて虚ろな表情をしていた。
LさんはKさんに「ほら、お父さん、水本さんが写真撮ってくれるんやで」と撮影中に、何度も声をかけてくれていた。
撮られることがあまり好きじゃないKさんのことを思って数枚だけシャッターを切って、KさんとLさんにお礼を告げた。写真は奥さんのLさんが部屋の壁に飾ってくれたが、Kさんのベッドの位置からは写真は見えないように飾られていた。
しばらくして、Kさんは入院後、亡くなってしまった。
ぼくは早番が終わった後にお通夜に参列した。遺影写真にはやっぱりぼくが知らないKさんの姿が写っていた。奥さんのLさんから話を聞いていた通り、そこには面倒見がよさそうな凛々しい表情をしたKさんの姿だった。「主人が写ってる写真、本当に少なくて選ぶのが大変だったの。水本さんには主人と一緒に写真を撮ってもらえて本当、嬉しかった」と奥さんのLさんは言った。きっと、この写真は奥さんが大切に選んだ写真に違いないと、若い頃のKさんの写真を見て思った。
お通夜の帰り道、あの壊れたコニカミノルタのカメラを思い出していた。
シャッターが切れなかった理由は、ただ壊れていたわけでないんじゃないか。
あのカメラでKさんは大切な人たちのために沢山シャッターを切っていたに違いない。
シャッターが切れなかったのは自身が写ることより、写すことが好きだったKさんの意思がそうさせていたのではないかと、ガタゴトと揺れる電車に身をまかせながら大先輩のカメラマンKさんの気持ちを想像していた。
text & photo by Hikaru Mizumoto